話題の本『小山田圭吾 炎上の「嘘」』が考えさせられる・・・感想&レビュー!②

レビュー

『小山田圭吾 炎上の「嘘」』レビュー第2弾です。
今回は「メディア」についてです。

その中でも、騒動の発端を作った「ロッキング・オン」とその責任について、
『小山田圭吾 炎上の「嘘」』を読み感じたことを書いていきたいと思います。

すべては『ロッキング・オン・ジャパン 1994年1月号』から

『ロッキング・オン・ジャパン』は、1986年9月に創刊した音楽雑誌です。
目玉企画として、アーティストへの「2万字インタビュー」というものがあり、
小山田氏も、1994年1月号でその「2万字インタビュー」を受けています。

今回の騒動の始まりは、このインタビュー内での発言によるものでした。

「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」
■でも、いじめた方だって言ったじゃん。
「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドいことをしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)。だって、けっこうほんとキツいことしてたよ」
■やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」

上記が『ロッキング・オン・ジャパン(1994年1月号)』「2万字インタビュー」からの抜粋です。
「いじめ」へついての言及は、この部分のみになります。
インタビュアーは、当時編集長でもあった山崎洋一郎氏(現・「ロッキング・オン」取締役社長)。「」内での発言が小山田氏のものになります。

「全裸でグルグル巻きにしてウンコ食わせてバックドロップして・・・・・・ごめんなさい」
という言葉が、大きな太字で、このインタビューページの見出しを飾っています。

その約1年後に、『クイック・ジャパン(1995年 3号)』にて、「いじめ」に関する特集が組まれ、かなりの長尺で小山田氏のインタビューが掲載されることになりますが、これも、そもそもライター(当時)の村上清氏が、『ロッキング・オン・ジャパン(1994年1月号)』のインタビューを読み、小山田氏へオファーしたものです。

つまり、すべての始まりは『ロッキング・オン・ジャパン』からだったということです。
このたった数行の記事が、27年後に日本中を巻き込む騒動となり、小山田氏を苦しめることとなるのです。

記事掲載後のこと

小山田氏は、当時、『ロッキング・オン・ジャパン(1994年1月号)』発売直後に行われたトークショーで、「このインタビュー内での発言はかなり湾曲・脚色されている」という主旨の主張をしています。

このことから、小山田氏が2021年の炎上を受けて「あの発言には一部事実と違う部分がある」と主張し始めたのではないということが分かります。

それでは何故そんな捏造ともとれる記事が発売されてしまったのか、間違っているのであれば、小山田氏は何故強く抗議しなかったのかなどの疑問が生じます。
その点に関して、本書『小山田圭吾 炎上の「嘘」』では、「90年代カルチャーの特殊さと時代的背景、「ロッキング・オン」側の姿勢(ルール)、更には小山田氏の性格までに及ぶこと」などが、考察も含め綴られています。

それでは27年後に起こってしまった世間からの小山田氏へのバッシングの際、「ロッキング・オン」はどのような態度を取るべきだったのでしょうか。
当時のインタビュアーでもあった山崎洋一郎氏が騒動後、どのような態度を取ったのか、本書で明らかになっています。

山崎洋一郎氏がとった行動

本書によると、オリンピック音楽担当を辞任した直後の騒動真っただ中に、小山田側スタッフ数名と山崎氏による、これからの対応についての話し合いの場が設けられていました。

小山田側から山崎氏へのクレームではなく、この状況(炎上)の打開策の相談の場として、小山田側からの要求に山崎氏が応じたものでした。「藁にもすがる思いだった」と小山田側スタッフは本書で語っています。場所はロッキング・オン本社。助け船を出してほしいというスタンスだったようです。

騒動の渦中にこのような場が設けられていたという事実は、本書で初めて公になったものです。私も少し驚きました。

その話し合いの場では、<山崎はあくまで「小山田君がしゃべったことを、そのまま掲載した」と語った。そして今、やらなければならないのは、小山田の被害者への謝罪だと言い続け、自分が何らかの助け舟をだすという考えが提案されることはなかった。(本書P252より)>とのことで、結局最後まで両者が歩み寄ることはなかったと、本書には記されています。

「ロッキング・オン」の責任

話し合いに関しては、山崎氏も幾らかの自責の念があり、だからこそ、小山田側からのコンタクトにも応えたのだと思います。
ただ、かと言って、山崎氏も「ロッキング・オン」という会社を守る立場の人間として、小山田氏を擁護するような姿勢や、生半可な行動を安易にすることは出来ず、かなり困惑していたのではないでしょうか。
それが一見すると、小山田側からは、少し冷たい対応のように見えたのかも知れません。

それでも、『ロッキング・オン・ジャパン』という雑誌は、誰のためのどのような雑誌なのかを考えた時に、やはり、山崎氏=ロッキング・オンには、もっと誠実な態度を取ってほしかったというのが私の意見です。山崎氏は、公に謝罪文を出してはいますが、やはりどうしても便宜上のものに見えました。

「誰のためのどのような雑誌なのか」。この言葉に習えば、『ロッキング・オン・ジャパン』は、「音楽(ロック)を愛する人たちのための、素晴らしいアーティスト(作品)を世の中へ伝えていく雑誌」なのではないかと私は思います。

94年の『ロッキング・オン・ジャパン』の記事は、小山田圭吾(コーネリアス)からたくさんのものを奪いました。
そして、最終的には、小山田氏自身の音楽活動の場も奪われる状況へと追い込まれることになります。
これは『ロッキング・オン・ジャパン』が果たすべき役割とは真逆の結果です。

“「優れたアーティストの音楽」を届けるための媒体(=ロッキング・オン)が、「優れたアーティストの音楽」を世間から抹殺した”
言い分はあるにせよ、これはまぎれもない事実です。

小山田圭吾という一人の人間を苦しめただけではなく、一時的とは言え、彼の音楽も世間から消してしまった。
そして、彼の音楽に触れることになるはずだったかも知れない人たちからも、その出会いを奪ってしまった。
この責任はとても重いのではないかと思います。

まとめ

私は以前、熱心に『ロッキング・オン・ジャパン』を愛読していた時期がありました。
山崎洋一郎氏の書く文章にはとても影響を受け、すぐれた音楽評論家だと、今もなお思っています。
彼に教えてもらった素晴らしい音楽もたくさんあります。

だからこそ今回の「ロッキング・オン」の対応はとても残念で寂しく感じます。

著者・中原一歩氏も、同じライターとして、山崎氏の言動に対し、釈然としないまま本書を書き上げた様子が、文章を通じて見て取れます。

小山田氏の発した言葉が本当だったのかが問題なのではありません。
そんなことではなく、あの記事を作ったのは紛れもなく山崎氏であり、『ロッキング・オン・ジャパン』です。

2021年の騒動からも、もう随分時間が経ってしまいました。
それでも、雑誌のファンだった身としても、この問題に向き合った姿勢を見せてほしいと今でも思っています。

本書を読み、あらためて強く感じました。

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