防衛大学校出身でデモ主催者としても話題の平山貴盛さん。
保守からリベラルへ変化した思想背景や家族環境、現在の社会運動まで、
知られざる歩みを徹底紹介します。
平山貴盛の経歴と活動 — 若き防衛大学校卒業生の政治・社会運動

平山 貴盛さんは、現在注目を集める若手政治・社会活動家の一人です。
1996年生まれ、東京都在住、会社員(民間企業勤務)として働いています。
防衛大学校を卒業(2018年)した経歴を持ち、自らの経験や信念を元に、
安全保障や市民社会のあり方について発言・行動を続けています。
平山さんのこれまでの歩みと主張を整理していきましょう。
幼少期〜学生時代
平山さんの幼少期や学生時代について、詳細な公表情報は限定的なものですが、
自身の言葉やメディア取材から、次のような特徴が見えてきます。
過去には「ネトウヨ(ネット右翼)」的な考えを持っていた時期があったと語っており、
その背景には家庭の影響があったことも明かしています。
しかし、防衛大学校で学ぶ中で、国際社会や安全保障制度について体系的に学ぶことで、
思想面に大きな変化があったようです。
「思想的にリベラルな方向へ揺り戻された」と語っており、
これがその後の社会運動の原点になっていると見られます。
主な活動と政治姿勢
石破茂首相への支持デモ

2025年夏、平山さんは「石破辞めるなデモ」の主催者として大きく注目されました。
参院選後、自民党内で石破茂元幹事長(当時首相)への退陣論が強まる中、
石破氏の続投を求める異例の市民デモです。
彼がこのデモを呼びかけた理由としては、単なる政権応援ではなく、
「極右・排外主義的なポピュリズム政党」に対する危機感があったと語っています。
また、選挙で支持したからこそ批判もしなければならないという市民としての責任も強調しています。
安全保障・人権の視点からの活動
平山さんは「ジェノサイドに抗する防衛大学校卒業生の会」の呼びかけ人としても活動しています。
この団体を通じて、“安全保障政策は単に国家間の軍事力競争ではなく、
市民社会との合意があるべきだ”という強いメッセージを発信しています。
また、防衛省によるイスラエル製ドローンの導入検討に対しても批判的な立場を取り、
「一線を越えるものだ」と警鐘を鳴らしています。
彼の視点は、軍事技術を扱う際にも倫理や国際人権問題を重視するものであり、
従来の安全保障論とは異なる軸を提示していると言えるでしょう。
背景と家族の影響
平山さん自身は、父親が統一教会との関わりを持っていたことを明かしています。
この家庭環境が、彼の政治観や社会観に影響を与えていたといって差し支えないでしょう。
彼が高校生まで傾斜していた、所謂「ネトウヨ」的思想の発端はここにある気がします。
意義と言えるポイント
平山貴盛さんの活動には、以下のような社会的な意義があると思われます。
1.若手からの安全保障議論の刷新
伝統的な防衛論とは異なり、市民・人権視点を持つ卒業生としての発言は、
新しい切り口を提供しています。
2.市民運動と政治参加の架け橋
デモ主催を通じて、政治に直接関わる市民の声を可視化しており、
民主主義の現場を活性化させています。
3.思想の変化と自己批評の姿勢
過去の自分との対話を公開し、「支持したからこその批判」を掲げるスタンスは、
成熟した市民政治を示す好例と言えます。
また、『文春オンライン』の取材で、自分の変化を以下のように率直に語っています。
「高校生まではネトウヨだった」
『文春オンライン』より
「防大で学んだことで思想がリベラル寄りに揺り戻された」
また、同取材で、デモ主催についても、
極右・排外主義政党への問題意識と、自分なりの責任の取り方も語っています。
「単なる支持ではなく、参政党など極右・排外主義政党への“防波堤”として動いている」
『文春オンライン』より
「(例え自分が支持した人物や政党であっても)支持したからこそ警戒・批判する」
河合ゆうすけとのトラブル
市議会議員・河合ゆうすけ氏とのトラブルも取りざたされました。
平山氏は河合氏の主張を排他主義とみなし、単独でのプロテスト行為を行ったという事象のようです。
平山氏が居合わせたのは偶然である可能性が高いと思われます。
まとめ

平山さんの今後には、大きな注目が集まっています。
防衛・外交・人権問題に対して彼がどのような政策提案を行い、
またどのような社会運動を展開していくのかは、
今後の政治・市民運動の潮流にも影響を与える可能性があります。
また、彼が市民と国家の間の「合意形成」を重視する立場を取る以上、
今後は同世代や異なる立場の人々との対話も増えていくことが期待されます。
政治と社会の橋渡しを担う若手の一つとして、今後も注視される人物です。

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