国際刑事裁判所(ICC)の所長として注目を集めている赤根智子(あかね ともこ)さん。
日本の検察官として長年経験を積み、現在は国際的な舞台で法の支配を守る重要な役割を担っています。
一方で、「夫や子供はいるの?」「どんな家庭で育ったの?」など、プライベートについても気になりますね。
そこで今回は、赤根智子さんの家族に関する情報をはじめ、東大卒から検察官、そしてICC所長に至るまでの経歴を詳しくまとめました。
プロフィール
まずは、赤根智子さんの簡単なプロフィールを見てみましょう。

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 赤根智子(あかね ともこ) |
| 生年月日 | 1956年6月28日 |
| 出身地 | 愛知県名古屋市 |
| 出身高校 | 愛知県立旭丘高等学校 |
| 最終学歴 | 東京大学法学部 |
| 職業 | 法曹・ICC判事 |
| ICC判事就任 | 2018年3月 |
| ICC所長就任 | 2024年3月11日 |
赤根智子さんは、1956年6月28日生まれで、愛知県名古屋市出身の法曹です。
愛知県立旭丘高等学校を卒業後、東京大学法学部へ進学。
1980年に東京大学法学部を卒業しています。
その後、1982年に検察官へ任官しました。
横浜、名古屋、仙台、東京などの地方検察庁で経験を積み、函館地方検察庁検事正や法務省法務総合研究所長などを歴任しています。
さらに国際司法協力の分野でも活躍し、2018年には国際刑事裁判所(ICC)の判事に就任しました。
そして2024年3月11日、同僚裁判官による互選でICC所長に選出されます。
日本人として初めてICC所長に就任した人物として、大きな注目を集めました。
愛知県弁護士会が発行する会報『SOPHIA(令和元年8月号)』では、
法曹(裁判官)を志した理由・きっかけについてのインタビューに赤坂さんが答えています。
https://www.aiben.jp/about/library/news/2019/10/post-7.html
中学生のころは、化学者になろうと思っていました。ただ、高校2年生で文系に進むことを決めました。
法曹を意識したのは、大学3年生のころです。このときは、弁護士になろうと思いました。弁護士を目指した理由は、生涯意義のある仕事をしたいと思っていたところ、弁護士は人を法律によって助ける仕事だと考えたためです。また、当時から、精神的にも経済的にも自立するために仕事をするべきと考えていましたが、弁護士なら、男女関係なく、自分の力で仕事が続けられると思いました。
検察官という仕事を意識したのは、司法試験に合格した後です。検察実務修習を経験し、事実をとことん明らかにしようとする仕事に興味がわきました。また、私はもともと勧善懲悪でできている時代劇が好きだったこともあり、検察の理念に共感し、検察官になることにしました。
『SOPHIA(令和元年8月号)』より
理系だった高校生の途中から文系へ進路を変更したんですね。
赤根さんの現在のご活躍のひとつの要因の気もします。
ご家族について
赤根さんにはお一人、娘さんがいらっしゃいます。
2014年、ワークライフバランスについて言及した国際連合広報センターのインタビューでは、
「それでも、一人娘は元気に育ちました。面倒を見てくれた両親には感謝しています」と語っています。https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/discrimination/women/womens_day_2014/akane/
私が検事に任官した当時は、ワーク・ライフ・バランスなどという言葉も概念もありませんでした。
『国際連合広報センター』インタビューより
それどころか、私は男女機会均等法制定以前の世代で、当時は、育児休業制度もありませんでした。
何とか男性社会に潜り込んで、キャリアを積もうとしていたものですから、
そのようなことには考えも及びませんでした。それでも、一人娘は元気に育ちました。
面倒を見てくれた両親には感謝しています。そのせいか、今でも自分自身は、
仕事中心の生活をしており、ワーク・ライフ・バランスを意識して働いてはいませんが、
自分の体調に正直に、常に自然体で臨みたいと思っています。
具体的には、無理を重ねることは極力避け、心身ともに健康で、
常に明るい気持ちで仕事を続けられるよう心がけています。
ご両親のサポートを受けていたとはいえ、検察官という仕事と子育てとの両立は並々ならぬものだったのではないでしょうか。
一方で、夫については、職業などを含めた詳しい情報は公表されていません。
検察官として多忙な日々を送りながら、家庭では子育てにも向き合っていた赤根さん。
その経験は、現在の活躍に少なからずの影響があるように感じます。
では、赤根さんの学歴と経歴を詳しく振り返ってみましょう。
東大卒業後の経歴詳細
赤根さんは、東京大学法学部を1980年に卒業後、1982年に検察官へ任官しています。
ここから、長年にわたる刑事司法のキャリアがスタートしました。
検察官時代には、横浜、名古屋、仙台、東京などの地方検察庁で勤務しています。
その後、札幌地検公判部長や函館地方検察庁検事正などを務め、日本の刑事司法の現場で豊富な経験を積みました。
さらに赤根さんの経歴を特徴づけているのが、国際協力の分野です。
1989年から1990年にかけて米国へ私費留学し、ジャクソンヴィル州立大学大学院の刑事司法コースを修了しています。
帰国後も検察実務だけにとどまらず、国際的な刑事司法に関わる活動を広げていきました。
国連アジア極東犯罪防止研修所(UNAFEI)では、教官や次長、所長を歴任。
法務省法務総合研究所では、国際協力部長、所長などを務めています。
また、名古屋大学法科大学院や中京大学大学院法務研究科では教授としても活動しました。
検察官、国際司法協力、法学教育という複数の分野を経験していることが、赤根さんの大きな特徴です。
そして2016年には、国際司法協力担当大使を兼務。
日本国内だけでなく、国際的な刑事司法の分野でも存在感を高めていきました。
大きな転機となったのが、2017年です。
赤根さんは国際刑事裁判所(ICC)の裁判官選挙で当選しました。
2018年3月からICCの判事として就任し、主に予審部門を担当しています。
ICCは、戦争犯罪や人道に対する罪、ジェノサイドなどを扱う国際的な司法機関です。
日本人としてICCの裁判官を務めること自体が大きな役割ですが、赤根さんはさらに重要な立場へ進むことになります。
それが、ICC所長への就任でした。

ICC所長に選ばれた理由とは
赤根さんは、2024年3月11日にICCの所長へ就任しました。
同僚裁判官による互選で選ばれたもので、日本人として初めてICCの所長に就いた人物として大きな注目を集めました。
では、なぜ赤根さんがICCのトップに選ばれたのでしょうか。
その背景として考えられるのが、これまで積み重ねてきた刑事司法と国際司法の豊富な経験です。
赤根さんは日本の検察官として、長年にわたり刑事事件に携わってきました。
さらに、国際協力や法学教育にも携わり、国際刑事司法について幅広い経験を積んでいます。
ICCの裁判官に就任してからは、スーダン・ダルフール紛争やマリ、中央アフリカ共和国に関連する事件などにも関わりました。
なかでも世界的に注目されたのが、2023年3月にウクライナ情勢をめぐって出された逮捕状です。
ロシア内務省の指名手配リストに
赤根さんは、ロシアによるウクライナ侵攻に関連し、子どもの強制移送をめぐる戦争犯罪容疑で、
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領らに対する逮捕状を発付した3人の裁判官の一人でした。
この判断によって赤根さんは国際的に知られる存在となり、ロシア側からも強い反発を受けています。
具体的には、ロシア側から刑事手続きを開始され、その後、ロシア内務省の指名手配リストにも掲載されました。
さらに2025年12月には、モスクワの裁判所から欠席裁判で有罪判決を受けています。
こちらの動画では、その件について赤坂さんご自身が言及されています。
その後もICCは、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相への逮捕状などをめぐり、各国から政治的な圧力を受ける状況が続いています。
さらに赤根さん自身も、米国によるICCへの制裁の対象となりました。
こうした厳しい環境のなかで、ICCの運営を担うことになった赤根さん。
講演やインタビューでは、法の支配を守ることの重要性を繰り返し訴えています。
日本との関係でも、ICCへの支援や東京事務所の設置などをめぐって活動しています。
また、2025年には初の著書『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』を刊行。

自身の経験を交えながら、ICCが果たす役割について発信しています。
日本の刑事司法から国際刑事司法のトップへ。
こうして見ると、赤根さんがICC所長に就任した背景には、東京大学法学部卒業後の検察官としての経験だけでなく、国際刑事司法に長年携わってきた実績があることが分かります。
最後に、国際舞台で活躍したいと思っている女性への赤坂さんからのメッセージで締めくくりたいと思います。
「国際舞台に飛び出していく若い世代を見ていると、まぶしいばかりです。
女性に限らず、男性においても大いにがんばってほしいものです。やる気、勇気を持つこと、
そして、考えてばかりいないで一歩踏み出すことをお勧めします」(『国際連合広報センター』インタビューより)

コメント