ミラノ・コルティナ冬季五輪で銅メダルを獲得し注目を集めた中井亜美(なかい あみ)選手。
新潟から試合前に応援メッセージを送り続ける父、毎日そばに寄り添った母、
LINEで心の距離を縮めた姉。日本フィギュア史上最年少メダリストを支えた、
家族それぞれの思いに迫ります。

父が新潟に、母が千葉に。異例の”家族分離”という決断
2021年春、中井選手は12歳で故郷・新潟を離れました。
車の窓を開け、これから離れて暮らすことになる父親へ「パパ、バイバイ」と姿が見えなくなるまで、
手を振り続けたそうです。
父親と姉は新潟に残り、母親は中井選手とともに千葉県で生活をすることに。
フィギュアスケートという競技に本格的に打ち込むため、
家族が二手に分かれて暮らすという生活を選択しました。
フィギュアスケートは年間数百万円から1,000万円以上かかるとも言われる競技。
費用の問題だけでなく、家族がバラバラになって暮らすという精神的な重さも伴います。
それでも中井家は、中井選手のために大きな決断をしました。
中井選手自身の覚悟も相当なものだったでしょう。
母の役割──「絶対大丈夫」という言葉の重さ
中井選手の母は、家族の中でもっとも日常に近い場所で中井選手を支えてきました。
日々の練習前後や食事の準備、生活面全般で娘を支え、
手作りのお弁当が中井選手の大きな支えになったそうです。
送迎、食事、体調管理──華やかな舞台裏には、地道なサポートが積み重なっています。
精神面でも、「絶対大丈夫」という母の言葉が試合前の心の支えとなり、
プレッシャーの中でも落ち着いて演技できたと中井選手は語っています。
ミラノで銅メダルを獲得した直後、インタビュアーからの「お母さんに何て報告したんですか」
という問いに、「『アミ出来たよ』っていう風に伝えました」と答え、頬をゆるませました。
無邪気な子供のような言葉が逆に重く、とても胸に刺さりますね。
父の役割──距離を超えて届く応援メッセージ
父親は新潟に残りました。
新潟で仕事を続けながら経済的な面でも中井選手を支えています。仕事は自営業と報じられています。
競技活動に直接関わることは少ないものの、試合前後には励ましの言葉を送り続けているそうです。
試合前に届く父からの応援メッセージが心の支えになっていると、中井選手自身が語っています。
また幼少期には、父親が中井選手に走り方を教えていたというエピソードもあり、
競技者としての土台を作ったのも、お父さんだったのかもしれませんね。
姉の存在──LINEで繋がる3歳上の心強い味方
お姉さんは中井選手より3歳年上で、父親とともに新潟に残って生活をされているようです。
中井選手は姉と離れて暮らしているため、寂しいときにはよくLINEで
連絡を取り合っているといいます。
中井選手はあるインタビューで「地球最後の日に何をする?」という質問に対し、
「パパとかお姉ちゃんに会って、家族全員でどっか出かけたり過ごしたりしたい」と答えています。
中井選手はまだ高校生(2026年現在)。
家族全員でいつか一緒に過ごしたいという気持ちが感じられます。
新潟から見守る祖父母──シャインマスカットと手紙
新潟県新発田市に住む祖父の中井惠介さん(77)と祖母の文子さん(73)は、
孫の五輪切符獲得を心待ちにし、五輪前には現地へシャインマスカットと手紙を送り、
遠く新潟から静かにエールを届け続けていたそうです。
「びっくりした。優勝するとは思っていなかった」。
惠介さんは中井選手がGP初出場で表彰台の頂点に立った時の心境を振り返る。中井選手はフランスから帰国した10月21日の夜、
『新潟日報 2025/11/30』より
文子さんのスマートフォンを鳴らし、結果を報告した。
「よかったね。おめでとう」と伝えた文子さん。
「トリプルアクセルを跳べるようになったのが自信になったと思う」と話した。
このエピソードは五輪切符獲得前の時ですが、
孫の活躍に喜びを隠せない様子が伝わってきます。

「アミ出来たよ」のひと言に詰まった5年間
「楽しむためには努力が必要だと思っていた。そのおかげで自信を持って挑めた。
『日刊スポーツ 2026/4/24』より
その結果、素晴らしい銅メダルを獲得できた」
「本当に周りの方のサポートがあったおかげで今がある」と感慨に浸った中井選手。
父が新潟で守り続けた家と仕事。母が千葉で積み重ねた5年分の弁当と言葉。
姉が送り続けたLINEのメッセージ。祖父母の手書きの手紙。
そんな家族の思いとともに、中井選手はミラノの氷上で素晴らしい演技を繰り広げました。
「アミ出来たよ」──中井選手の5年間のすべてが詰まった言葉ではないでしょうか。

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