防衛大学校卒業生・平山貴盛さんは、なぜ身体を張って抗議するのか。
イスラエル製ドローン導入阻止を求めた11日間のハンスト、
「ジェノサイドに抗する防衛大卒業生の会」の活動など、その行動と思想を徹底解説します。

街頭に立ち続けた男の11日間

2026年1月26日、東京・新宿の防衛省前で平山貴盛さんはハンガーストライキ(ハンスト)を開始しました。
イスラエル製の小型攻撃用ドローンを購入しないよう求め、 真冬の路上で、
食事を絶ちながらの抗議でした。
しかし、開始から11日目に体調が急変しハンストを中止。
支援者が平山さんを自宅まで送り届けることになりました。
結果的に11日間で終わりをむかえましたが、デモを呼びかけや声明を出したりするだけでなく、
自らの身体を賭ける姿勢こそが、平山貴盛という人物の活動の本質のような気がします。
なぜ防衛大卒OBが「虐殺反対」を叫ぶのか
平山さんの行動が注目を集める最大の理由は、その「肩書き」にあります。
平山さんの出身校である防衛大学校は自衛隊幹部を育成するための機関。
その卒業生が、政府の防衛調達に公然と反対する
——この構図自体が一見矛盾しているように見えます。
しかし平山さん自身の論理は、むしろ一貫しています。
防衛大学校卒業後、在学中に学んだ軍事や安全保障の知識を社会に還元したいという思いから、
2024年にイスラエルによるガザ攻撃への抗議として
「ジェノサイドに抗する防衛大学校卒業生の会」を立ち上げました。
専門知識を持つからこそ、その知識に基づいて声を上げる責任がある
——これが彼のスタンスでもあります。
「安全保障を専門的に学んできた私のような卒業生が『虐殺反対』と唱えないで、
役目を果たせるのか」という信念のもと、平山さんは街頭に立ち続けています。
「一線を越えた」と感じた防衛省の動き
平山さんがハンストという強硬手段を選んだ背景には、政府の政策の動きにありました。
防衛省は2025年度の予算で、小型攻撃用ドローン310機の取得のため32億円を計上。
候補機4機種のうち2機種がイスラエル製であることが、
市民団体と防衛省との交渉で明らかになりました。
これまで偵察などの用途で外国製ドローンが購入されたことはありましたが、
攻撃用ドローンの取得は今回が初めてのこと。
平山さんはこれを「最後の一線を越えようとしている」と危惧し、
パレスチナでジェノサイドを繰り広げているイスラエルで作られた武器の導入は
「虐殺加担」「国際法違反になる」として非難する立場を取りました。
防衛大学校で学んだからこその表明と言えるのではないでしょうか。

安全保障は「専門家だけのもの」ではない
平山さんの主張の核心は、安全保障政策の「民主的統制」という概念です。
以下は平山さんご自身の発言です。
「日本は民主主義国家だ。安全保障政策は市民社会との合意で進めなければならない。
日本平和委員会 X(2025年5月22日)より
防衛省やDSEIが、自分たちは安全保障のプロだから素人である市民の抗議など聞く必要がない
と考えているなら大きな間違いだ」
これは単なる反戦・平和運動とは異なる視点と言えます。
軍事・安全保障の専門教育を受けた立場から、
「だからこそ市民社会との合意形成が不可欠だ」と論じる。
その説得力は、同じ主張を持つ一般市民とは異なる重みがあると感じます。
活動の広がり——ガザからベネズエラへ
平山さんの活動はガザ問題にとどまりません。
米国のベネズエラへの関与に抗議するため在日米国大使館前での行動を呼びかけると、
およそ200人の市民が参加しました。
「市民社会は、国際社会における民主主義の重要なプレーヤーだ。
「しんぶん赤旗日曜版(2026年1月18日号)」より
市民が『国際秩序を守れ』と声を上げ、行動で示すことには大きな意義がある」
と平山さんは語ります。
また、年金の積立金がイスラエルの国債や軍事企業に投資されていることを指摘し、
「虐殺と侵略とそれへの加担を止めよう」と訴えるなど 、
安全保障と金融・経済の接点にも目を向けています。関心の射程の広さがうかがえます。
「身体を張る」ことの意味
デモ、声明、SNSでの発信——現代の社会運動には様々な手法があります。
そのなかでハンガーストライキは、最も身体的な負荷を伴う行為です。
少し頰がこけた様子のハンスト4日目の平山さんは、
「問題を知った一人ひとりが何か小さなことでも始めていければ大きな力になるはず」
と希望を語りました。※2026/2/23Yahooニュースより
自らが痛みを引き受けることで、問題の深刻さを可視化しようとする
——そこには、言葉だけでは届かない何かを伝えようとする強い意志が感じられます。
平山貴盛という人物は、
“知っている人間が、知っているからこそ動く”という姿勢をまさに体現しています。
防衛大で培った専門知識を、国家のためではなく市民社会のために使うそのあり方は、
安全保障と民主主義の関係を問い直す一つの実践として、
今後もさらに注目され続ける存在になるのではないでしょうか。

コメント