笠置シヅ子の夫・吉本穎右はどんな人?死因は?わかりやすく経歴を紹介

人物

NHK連続テレビ小説『ブギウギ』が、2024年3月29日に最終回を迎えます。

主人公の福来スズ子のモデルは、戦後の大スターで「ブギの女王」として人気を博した歌手、笠置シヅ子さん。その夫の吉本穎右さんとはどのような人物だったのでしょうか?

その生涯を詳しくご紹介します。

吉本穎右 プロフィール

■名前:吉本 穎右(よしもと えいすけ)※「泰典」より改名
■生年月日:1923年(大正12年)10月26日
■出身地:大阪府
■最終学歴:早稲田大学・仏文科中退

両親、生い立ちについて

長男の吉本泰之助が既に亡くなっていたため、
父・吉本泰三(吉本興業の創業者)、母・せいの跡取り息子として生を受けます。

しかし、穎右が生まれた翌年(1924年)2月、父・泰三が39歳という若さで亡くなり、
生まれたばかりの穎右が家督を相続することとなります。

そして、母・せいは、穎右の親権を行使するかたちで吉本興行部(現・吉本興業)を運営し、実質的な経営は、せいの実弟・林正之助に任せます。

林正之助は、穎右に吉本興業部を相続させることを確約しており、事実上、穎右が吉本興業部の後継者として育てられることとなりました。

笠置シヅ子との出会いと同居生活

戦時中の1943年(昭和18年)、早稲田大学在学中の穎右は、名古屋の御園座を訪れ、その楽屋で、当時「スイングの女王」として名を馳せていた、笠置シヅ子と出会います。

その時は会話は交わさなかったものの、お互いが一目ぼれをしており、その後、太陽館での再会をきっかけに二人の交際が始まります。

翌1944年(昭和19年)、穎右は結核を患いますが、シヅ子との結婚を誓います。

更にその翌年の1945年(昭和20年)、東京大空襲により自宅を失った二人は、穎右の叔父・林弘高の隣家に移り住み、同じ屋根の下で暮らすこととなります。

結核による死

終戦後の1946年(昭和21年)、穎右は早稲田大学を中退し、吉本興業東京支社で働き始めます。
そしてこの年、交際中のシヅ子が穎右の子供を身ごもります。

しかし、穎右は、患っていた結核が悪化し、1947年(昭和22年)5月、帰らぬ人となりました。
享年25歳という若さでした。

穎右が亡くなった翌月、シヅ子は深い悲しみの中、女の子を出産をします。
そして、穎右の「女の子なら『エイ子』」という遺言を受け、生まれた子供にエイ子と名付けました。

二人の長女である亀井エイ子さんは、2024年3月現在、76歳。
吉本の籍には入らず、一般人として生活をされています。

まとめ

吉本興行創業者を父に、日本の超トップスターを妻に持った吉本穎右。

短い生涯の中で、彼は何を見、何を感じて生きたのでしょうか。
まさに日本のエンターテイメントの影を生きた人物であり、我々の知らないところでの、影の立役者だったのかも知れません。

吉本穎右の息吹は、今もこの国の華やかな世界に息づいています。

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