桐島聡は何をした?潜伏中の勤務先、死亡した病院は?まとめてお伝えします!

社会

指名手配中だった桐島聡とみられる男の身柄が確保されました。
その後、入院中の病院で死亡しました。

どんな罪を犯した?
どこに潜伏してどのような暮らしをしていたのか?
確保され、死亡が確認されたはどこの病院?

桐島聡の情報について分かりやすくお伝えします。

桐島聡 プロフィール

1954年(昭和29年)1月9日生まれ
広島県出身。広島県立尾道北高等学校卒業後、1972年4月、明治学院大学法学部に進学します。

大学在学中に東アジア反日武装戦線に「さそり」班として参加し、その後、連続企業爆破事件の複数のテロ事件に関与することとなります。

時は過ぎ、1989年、1990年頃、上記テロ事件への容疑で全国に指名手配されることとなりました。

身柄確保の後、2024年1月29日、入院先の病院で死亡しました。

何をした?

テロ組織東アジア反日武装戦線に属し、主に海外に進出した大企業を、「アジア侵略に加担した企業」とみなし、それらの企業への爆破テロを繰り返しました。

<桐島聡が関与したとされる爆破事件
■1974年 鹿島建設爆破事件
■1975年2月 間組本社ビル爆破事件 
■1975年4月 韓国産業経済研究所爆破事件
■1975年4月 間組江戸川作業所爆破事件
■1975年4月 間組京成江戸川橋工事現場爆破事件

潜伏中の勤務先

数十年前から、「内田 洋(ウチダヒロシ)」という偽名を使い、神奈川県内の土木工事会社に住み込みで働いていたことが明らかになっています。

仕事仲間からは「ウッチャン」と呼ばれ、無精ひげに「やさしい口調」の男性だったということが、仕事の取引先の相手からの証言として出ています。

入院先の病院名

2024年1月、路上で倒れ、自らの通報で救急搬送され入院しました。

入院中の同月25日に自らが桐島聡だということを名乗り出、

4日後の同月29日に、入院先の「湘南鎌倉総合病院」で死亡しました。

※写真=Wikipediaより

まとめ

2024年1月29日現在、警視庁はDNA鑑定などで身元確定を急いでおり、
桐島聡本人と確認されれば、容疑者死亡のまま書類送検される見込みです。

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